性格
■幼少期
自分で言うのもなんですが、人見知りするおとなしい子供でした。
そして、食べることがとても好きな子供でした。(今もですが…)
子供の頃の写真は、なぜか食べているときの写真が多く…。
両親曰く、「よく食べる子供だった」とのことですが、本当に食べてばかりだったのか、両親が意図的に食べている写真ばかりを撮ったのかはいまだに疑問。
ですので、ちょっと「肉付きの良い」子供でした。
■小・中・高校時代
地元の公立校にて、小学校から高校まで学生生活を過ごしました。
田舎者らしく、「のほほ~ん」と毎日を過ごしていたのですが、受験、特に大学受験のときだけは急にスイッチが入り猛勉強。
実は、「地元を離れ、都会で一人暮らしをしたい!」という典型的な田舎者の夢(私だけかもしれませんが)があったのです。
その結果、運良く第一志望の大学に合格することができました。
■大学時代
親の心配、苦労もお構いなし、期待に旨を膨らませて大学に入学し、大学生活を満喫(する予定でした)。
現実は憧れていたドラマのような華やかな(?)大学生活ではなく、いたって地味な学生生活。
ただ、大学2年生の終わり(H7年)に、「阪神・淡路大震災」を経験しました。
当時、尼崎市に住んでいた私は激しい揺れに目が覚めたものの、あれほど大きな震災になるとは思わず、外が騒がしくなる中、そのまま寝るという「ふてぶてしい行動」をとってしまいます。
朝起きて、本棚から本が落ち、食器棚からお皿やコップが落ちて割れているのを見て、ようやく事の重大さに気づきます。
当時はまだ若く、危機意識が欠落していたのだと思います。(若くてもしっかりした方はたくさんいますので、言い訳ですが…)
そんなのんきな学生でした。
■就職(サラリーマン時代)
気を取り直して(?)、輸入食料品等を扱う会社に入社。
大学までの「のほほ~ん」とした生活とは一変し、激動の社会人生活を送ることになります。
入社1~2年目は百貨店にて販売を担当。
お中元、お歳暮、クリスマス、バレンタインデーなどの繁忙期には食事もゆっくり取れないほどの激務を経験。
特にバレンタインデーでは、始発で行って開店までひたすら包装、営業時間中は販売と在庫補充、商品発注などを行い、閉店後は翌日のために商品補充と包装で終電で帰るという日が続きました。
今振り返ると、まだまだ「学生気分の抜けない新入社員」だったような気がしますが、たくさんの失敗の中から仕事の取り組み方について学んだような気がしますし、厳しく指導してくれた当時の上司にも感謝しています。
入社3~4年目は営業を担当。
最初に部長から営業部への移動を告げられたとき、唖然として「(私が)営業ですか?」と聞き直したくらい、自分には合わない、畑違いの仕事を命じられた!という衝撃を受けました。
(しかも生まれ育った関西ではなく、東京勤務です)
案の定、私の性格を良く知る学生時代の友人、知人は、みな皆声をそろえて
『お前が営業? 絶対合わへんやろ!』 と一言。
(一般的な営業マンのイメージ(いわゆる押しの強いタイプ)ではまったくないので)
とはいえ、サラリーマンである以上、自分に合わないだろうという理由(思い込み)で異動を拒否するわけにもいかず、辞令どおり東京にて営業職を経験。
(東京スカイツリーのすぐ近く、墨田区に住んでいました)
しかし、関西出身の上司、先輩方が多く、ホームシックにかかることなく(?)、また、イメージしていたイケイケ(古い?)な営業ではなく、自分らしい営業スタイルで仕事に取り組むことができ、少し安心したことを今でも覚えています。
そんな中、入社3年目にしてサラリーマン生活の中で一番の「事件」が発生します。
今、振り返ってみると、憧れの東京という大都会で生活するということで、少し浮かれた気分もあったと思います。
そんなお気楽が祟ったのか、仕事の出張先から高速で東京に戻る途中、タイヤが突然パンクし、ハンドルが取られ、身動きが取れなくなったのです!
ガードレールにぶつかってようやく車のスピードが落ち、後続の車を気にしながら何とか路肩に移動。
危うく命を落としかけました。汗)
私が使用する少し前に車検を済ましており、その車検のときには何も問題がなかったようなので、なぜいきなりタイヤがパンクしたのか原因は謎のまま…。
結局、玉突き事故などにつながることなく、私も同乗者も怪我ひとつなく、無事東京に帰還。
(皆から「奇跡的!」と言われました)
人身事故につながらなかったということは本当に良かったのですが、会社の営業車は見事に全壊!(猛省)
その反省から、「来年は絶対売上を上げよう!」と堅く決意します。
(たまたま、しばらくして私の所属する東京支店に社長が来られたのですが、申し訳なくてそのときは社長の顔をまともに見ることができませんでした…。)
入社4年目は、営業車全壊という失態を取り返すべく努力した結果、少しはそれをカバーできたかなと思えるくらいまで営業成績を伸ばすことができました。
その反動からか、今度は自分の腰を痛めてしまう羽目に。
悪夢の『プチヘルニア』発症。
(私が勝手にこう呼んでいます)
手術をするには至らなかったので厳密にはヘルニアではなかったようですが、しばらくは地面に足がつくだけで激痛が走り、生活もままならない状態に。
初めて激痛が走った朝(忘れもしない12月25日、クリスマスです)、経験したことのない激痛に耐えながら出勤の準備をしていたのですが、腰が曲がらないため、靴下を履くだけで「5分」もかかってしまいました。
1人、手すりにしがみついて駅の階段を恐る恐る下りる私の後姿は、なかなか悲惨でした。(当時はまだ20代後半です)
そんな私の横を、いかにも勝負服(?)らしきものに身をまとったOLさんが颯爽と通り過ぎていく・・・。
今までで、一番むなしい思いをしたクリスマスでした。
入社3年目は「会社の車」を壊し、
入社4年目で「自分の体」を壊す。
我ながら、問題児です。(苦笑)
入社4年目の頑張りにより、営業車全壊の失態を少しカバー出来たと勝手に思い込み、また腰痛から営業の仕事にも多少限界を感じ、以前から興味のあった行政書士となることを決意して退社。
■行政書士試験受験
3月末に仕事を辞め、東京にも近く、便利な千葉県市川市に引越し、受験勉強を始めます。
その年の10月に試験を受けるも、独学の限界からか単なる準備不足からか、見事「不合格」!
1回目の受験後、同じ失敗を繰り返さないよう、アルバイトをしながら某資格予備校に通い、試験合格を目指して再度勉強。
今後のことも考えて、どうせアルバイトをするなら一流の接客業を学びたいと思い、自宅近くの「ディズニーシー」でアルバイトを開始。
厳密には、当時できて間もないシーのホテル内で、結婚式やイベントで食事等を提供する配膳をしていました。
試験3ヶ月前にはアルバイトも辞め、無職となり、毎朝自分でおにぎりを作って図書館に行き、開館から閉館までこもりっきりで勉強。
その結果、何とか合格でき、大阪戻って仕事をしようと決意し、引越し。
「石橋を叩いても簡単に渡らないお前がどうしたん!?」と学生時代の友人等に驚かれながらも、準備期間を経て28歳の時に独立・開業。
我ながら、「何のあてもないのによく開業したなぁ!」と感心しますが、それもこれも良いお客様と諸先輩方に恵まれたから・・・。
そんな若造に仕事を任せてくれたお客様、同業者でありながらいろいろ教えて頂いた諸先輩方には本当に感謝です。
■社会保険労務士試験受験
行政書士として仕事をしている中で、介護・福祉事業に関する業務を行うには「社会保険労務士」の資格が必要だと痛感するようになりました。
それまでは、「ただでさえ行政書士業務は仕事の範囲が広いのだから・・・」という気持ちが強く、わざわざ別の資格を取ろうという気にならなかったのですが、そうも言ってはいられない!ということで、思い切って社会保険労務士試験を受けることを決意。
行政書士試験の受験時(=仕事量を調整できるアルバイト)とは違い、すでに仕事をしながらの受験勉強はなかなか大変でした。
どうしても仕事を優先してしまい、なかなか勉強時間が取れないというジレンマを抱えながらの受験1年目は、最後の追い上げ(?)もむなしく、ある科目が1点足らず足きりになり、見事「不合格」!
行政書士試験同様、痛い目に遭わないと追い込まれないという厄介な性格は健在。
2年目は同じ失敗を繰り返さないように、最初からコツコツと勉強し、時間にも精神的にも余裕をもって試験当日を迎えられるようにと勉強に取り組むことに。
ただ、また1年間ずっと勉強したくないという思いが強すぎたのか、試験前日の日にはあまり眠れず、ちっとも余裕をもって当日を迎えることはできませんでした(苦笑)が、何とか合格。
晴れて、行政書士・社会保険労務士として、お客様のご要望に幅広くお応えできる体制が整い、これからも日々精進していきたいと思います。
いたって普通の男が行政書士・社会保険労務士になるというありふれた話を最後までお読み頂いてありがとうございました。
こんな私に興味を持って頂きましたら、お気軽にお声をおかけ頂ければ幸いです。
特定社会保険労務士・行政書士